クリプトコリネ ベケッティはアクアリウム水草として古くから知られており、レイアウト水槽での風合いもすばらしい。
スリランカからのワイルドものは私の知る限りこのときが初めてだろう。
クリプトコリネ ベケッティは、1885 年にイギリスの植物学者 Trimen(トリメン)が、セイロン(現在のスリランカ)の植物誌のなかで発表した種です。学名の著者名が「Thwaites ex Trimen」となっているのは、先に Thwaites(スウェイツ)が付けていた名前を、Trimen が正式な発表として世に出したことを表しています。水槽で育てられてきた歴史はきわめて古く、クリプトコリネのなかでもっとも早くから栽培された種のひとつと言われます。種小名 beckettii は Beckett(ベケット)氏への献名です。
この種の分類でいちばん大きな出来事は、ペッチー(Cryptocoryne petchii)との関係です。ペッチーは 1931 年に Alston(アルストン)が独立した種として記載しましたが、のちに染色体数(細胞内の染色体の本数)を数えると、ベケッティが 2n = 28、ペッチーはその 1.5 倍の 2n = 42 でした。つまりペッチーはベケッティの三倍体(さんばいたい=染色体を 3 組もつ型)にすぎない、と判断され、現在は異名(いめい=同じ植物につけられた別名)として整理されています。ただし「ベケッティ ペッチー」という呼び名は、葉が小ぶりで波打つ型を指す流通名として今も広く使われています。なお、正式に統合された年と論文は特定できませんでした。
スリランカ産のクリプトコリネは、ベケッティ・ウンデュラータ(1954 年記載)・ウェンティなどが互いによく似ており、水槽の中では見分けがつきにくいことで知られます。決め手になるのは葉ではなく仏炎苞(ぶつえんほう=花を包む苞)の舷部(げんぶ=開いた面)の形と色で、葉だけで判断すると取り違えが起きます。当店では 2002 年 9 月にスリランカ ガンバハ産のワイルド(現地採集)株を扱っており、当時のページには「スリランカからのワイルドものは私の知る限りこのときが初めてだろう」と記録しています。同じ時期にファーム(増殖農場)生産のオリエンタル産も扱っています。
もうひとつ、この種には水草としては珍しい経歴があります。1996 年、アメリカ テキサス州のサンマルコス川で野生化した群落が見つかり、2000 年に「テキサスの新しい水生植物」として学術誌に報告されました。湧水に恵まれた温かい川で、水槽から逃げ出した株が定着してしまった例です。丈夫で硬水でもよく育つという栽培上の長所が、そのまま裏目に出た形と言えます。
いまの正式な学名: Cryptocoryne beckettii Thwaites ex Trimen (1885) — ACCEPTED。水草の世界で長く別種として扱われた Cryptocoryne petchii Alston (1931) は、現在この種の異名です
| 年 | できごと | 文献 |
|---|---|---|
| 1885 | Trimen が Thwaites の草稿名にもとづき Cryptocoryne beckettii を発表 (スリランカ産) | J. Bot. 23: 269 |
| 1931 | Alston が Cryptocoryne petchii を独立種として記載 | H. Trimen, Handb. Fl. Ceylon 6(Suppl.): 293 |
| 1954 | Wendt が近縁の C. undulata を記載。以後、水槽内で beckettii としばしば取り違えられる | Aquarienpfl. Wort & Bild, ed. 14: 267 |
| 1976 | Jacobsen がスリランカ産クリプトコリネを整理 | Bot. Notiser 129: 179–190 |
| 年不明 | 染色体数から petchii (2n=42) は beckettii (2n=28) の三倍体と判断され、異名にまとめられる (正式に統合された年・論文は特定できず) | 不明 |
| 1996 | 米国テキサス州サンマルコス川で野生化した群落が確認される | Rosen (2000) Sida 19(2): 399–401 |
| 2026 現在 | POWO / WCVP で ACCEPTED。異名は C. petchii Alston の 1 つ | WCVP (Kew) 2026-08-04 確認 |
2026 年現在、Cryptocoryne beckettii Thwaites ex Trimen は正式な学名として認められています。1885 年の発表から一度も変種に落とされず、統合もされていません。動いたのは相手側で、1931 年に別種とされたペッチーが、染色体数を根拠にこの種の中へ吸収されました。「ペッチー」は学名ではなく型を指す流通名として、今後も使われていくと思われます。
※ 出典: IPNI(国際植物名索引)/ WCVP・POWO(キュー王立植物園)/ The Crypts pages(J.D. バスメイヤー氏 運営)/ Botaniska Notiser 129 (1976) / Sida 19(2) (2000)。