クリプトコリネ クリスパチュラは、細長くて縁が波打つ葉をもつ仲間の「本家」にあたる水草です。1920 年、ドイツの植物学者 Engler(エングラー)が Cryptocoryne crispatula の名で記載しました(大著『Das Pflanzenreich(ダス プフランツェンライヒ=植物界)』247 頁。原記載での産地表記はインドシナ)。種小名の crispatula は「細かく縮れた」という意味で、葉の縁の波打つ姿からきています。インドシナ半島から中国南部にかけての川に広く分布し、産地ごとに姿がよく変わることから、のちに多くの変種をかかえる大きなグループへ育っていきました。
この記事の主役 Cryptocoryne crispatula var. crispatula は、基本変種(きほんへんしゅ)と呼ばれるものです。ある種の中に最初の変種が立てられると、元の種を代表する部分に自動的に同じ名前が付く決まりがあり、それがこの「var. crispatula」です。つまり新しく見つかった植物ではなく、1920 年に Engler が見ていた本体そのものを指します。1991 年、デンマークの Jacobsen(ヤコブセン)がこのグループを整理し、var. crispatula・var. balansae(バランサエ)・var. tonkinensis(トンキネンシス)・var. sinensis(シネンシス)・var. flaccidifolia(フラキディフォリア)の 5 変種を認めました。当店の図鑑メニューがクリスパチュラをこの並びで分けているのは、1991 年のこの区分にもとづいています。その後 2010 年に var. decus-mekongensis・var. planifolia・var. yunnanensis、2015 年に var. kubotae、2022 年に var. albida が加わり、2026 年現在は 9 変種。いっぽう var. sinensis は現在みとめられておらず、基本変種 var. crispatula の異名に整理されています(もとの C. sinensis Merr. 1937 は中国 広西省の株にもとづく名でした)。
当店の図鑑では、クリスパチュラのグループに Cryptocoryne retrospiralis(レトロスピラリス)を並べてきました。ここは分類の歴史がねじれた場所です。1971 年、オランダの de Wit(デ ウィット)はまったく逆向きの整理を行い、クリスパチュラのほうをレトロスピラリスの変種に格下げして C. retrospiralis var. crispatula と呼びました。この扱いは 1991 年の Jacobsen の再編でくつがえり、2026 年現在、Cryptocoryne retrospiralis (Roxb.) Kunth は異名ではなく、クリスパチュラとは別の独立した種として認められています(インド、とくに西海岸側が分布の中心)。見分けどころは花の舷部(げんぶ=仏炎苞の開いた部分)の模様で、クリスパチュラが線状の模様をもつのに対し、レトロスピラリスは赤い点が散ります。ただし The Crypts pages は「観賞魚店でレトロスピラリスとして出回る株の多くは、おそらく C. crispatula var. flaccidifolia だろう」と注意をうながしています。当店の「レトロスピラリス オリエンタル産」(入荷時の草長 15〜20 cm、葉 3〜4 枚)も花を確認した記録がないため、どちらであるかは不明です。
var. crispatula は、雨季と乾季で水位が大きく上下する川に適応した水草です。The Crypts pages によれば、メコン川では場所によって水位差が 5〜10 m にもなり、増水期は針のように細い葉(terete(テリート)=断面が丸い葉)で水中をしのぎ、水が引くと硬い葉を立てて水上で育ちます。この季節のリズムがあるため、水槽の中で一年中同じ姿を保つのは得意ではありません。当店には「クリスパチュラ バース便」のページがあり、2003 年 3 月 11 日に POT で入荷、全長 20 cm 前後、細身の葉ながら縁に明瞭なウェーブが出ること、水上栽培よりも水中栽培のほうが容易だったことを記録しています。ただし「バース便」は仕入れ便の名前で採集地の記録がないため、この株がどの変種にあたるかは断定できません(不明)。
クリプトコリネ クリスパチュラは
いまの正式な学名: Cryptocoryne crispatula Engl. var. crispatula (1920) — POWO / WCVP で ACCEPTED (正式に認められた学名)。基本変種 (きほんへんしゅ=その種を代表する変種で、種と同じ名前になるもの) です。異名 (いめい=同じ植物につけられた別名) は C. sinensis Merr. (1937) / C. crispatula var. sinensis (Merr.) N.Jacobsen (1991) / C. bertelihansenii Rataj (1975) / C. retrospiralis var. crispatula (Engl.) de Wit (1971) の 4 つ
| 年 | できごと | 文献 |
|---|---|---|
| 1841 | C. retrospiralis (Roxb.) Kunth が記載される (インド産。もとの名は Ambrosina retrospiralis Roxb.) | Enum. Pl. (Kunth) / IPNI 86725-1 |
| 1920 | ★ Engler が Cryptocoryne crispatula を記載 (原記載の産地表記はインドシナ)。のちに多くの変種をまとめる受け皿になる | Pflanzenr. Arac.-Aroid. & Pistioid.: 247 / IPNI 86678-1 |
| 1937 | Merrill が中国 広西省の株を C. sinensis として記載 | Sunyatsenia 3: 247 |
| 1941 | Gagnepain が C. balansae を独立種として記載 (ベトナム北部 トンキン) | Notul. Syst. (Paris) 9: 131 |
| 1971 | ★ de Wit が逆向きの整理を行い、crispatula を C. retrospiralis var. crispatula としてレトロスピラリスの変種に格下げ | Aquarienpfl. (Deutsch. Ausg.): 184 / IPNI 77272645-1 |
| 1975 | Rataj が C. bertelihansenii を記載 (のちに var. crispatula の異名になる) | Stud. Ceskoslov. Akad. Ved 3: 49 |
| 1991 | ★ Jacobsen が crispatula 群を再編。crispatula を種に戻し、var. crispatula / balansae / tonkinensis / sinensis / flaccidifolia の 5 変種を認める。retrospiralis も別種に戻る | Aqua Planta 1991(1): 29 |
| 2010 | var. decus-mekongensis・var. planifolia・var. yunnanensis が加わる | Aqua Planta 35(4): 139–142 / Fl. China (2010) |
| 2015 | var. kubotae が記載される。同じ年に var. tonkinensis の正体も再検討される | Thai Forest Bull., Bot. (2015) / Willdenowia 45(2) |
| 2022 | C. albida R.Parker が var. albida としてクリスパチュラに編入される | Aroideana 45(1): 282 |
| 2026 現在 | POWO / WCVP で C. crispatula var. crispatula が ACCEPTED。C. sinensis Merr. と var. sinensis、C. bertelihansenii はその異名。crispatula の変種は 9 つ。C. retrospiralis (Roxb.) Kunth は別の独立種として ACCEPTED | WCVP (Kew) / GBIF 上の Kew WCVP データセットで 2026-08-05 確認 |
2026 年現在、Cryptocoryne crispatula var. crispatula は POWO / WCVP で正式に認められた学名 (ACCEPTED) です。1937 年に中国で記載された C. sinensis Merr.、それを変種にした C. crispatula var. sinensis (Merr.) N.Jacobsen (1991)、Rataj の C. bertelihansenii (1975)、そして de Wit が 1971 年に立てた C. retrospiralis var. crispatula は、いずれもこの名の異名 (いめい=同じ植物につけられた別名) に整理されています。クリスパチュラの変種は 2026 年現在 9 つ。★レトロスピラリス (Cryptocoryne retrospiralis (Roxb.) Kunth) は異名ではなく、いまも別の独立した種として認められています。当店のメニューでは同じグループに並べていますが、分類上は別種です。
※ 出典: IPNI(国際植物名索引、86678-1 / 77168038-1 / 86725-1 / 77272645-1 / 966653-1)/ WCVP・POWO(キュー王立植物園。POWO 本体が接続を拒否したため GBIF 上の Kew WCVP データセットで 2026-08-05 確認)/ The Crypts pages(J.D. バスメイヤー氏 運営、cryptocoryneworld.org)/ Das Pflanzenreich(Engler 1920)/ Sunyatsenia 3(1937)/ Notulae Systematicae (Paris) 9(1941)/ Aquarienpflanzen 独語版(de Wit 1971)/ Aqua Planta 1991(1)・35(4)(Jacobsen ほか)/ Thai Forest Bulletin, Botany(2015)/ Aroideana 45(1)(2022)。